さぬき岡本焼の由来はさだかではないが、中国、朝鮮の帰化人により当地に土器製作の技術が伝えられ、1332年後醍醐天皇の皇子、宗良親王が、讃岐詫間の地に訪れ高度な作陶技術が伝えられたといわれている。
土器製作が広まるにつれ、岡本帰来原の酸化鉄を多く含む粘土により農家の副業として明治初期から大正時代にかけ「ほうろく」と呼ばれる、低温焼成(800度〜900度)のうす赤色の暖かい色調の土鍋、水瓶、火消し壺、豆煎り瓦など日用雑器が行商人により四国、九州、中国地方にまで及び「ほうろく」の全盛期を迎えた。
大正、昭和時代にかけ大久ェ保之丞(じんのじょう)の銅像作家の織田朱越氏により数多くの楽焼美術品が作陶された。(明治32年〜昭和57年)
戦後、生活様式の著しい変化により、従事戸数が激減し昭和時代後期には美術工芸品と神仏用おかけら等が製作された。岡本焼焼成技法として焼成中岩塩を投入する塩釉焼締技法、低温焼成技法があり、作陶技法として越前焼、大谷焼、信楽焼に見られる輪積技法(当地「ひねり出し技法」と呼ばれる)が伝えられている。
昭和61年、伝統的「ひねり出し技法」と「塩釉焼締技法・低温焼成技法」で岡本焼が香川県伝統工芸品の指定を受けるとともに、私の父である詫間貞利が伝統工芸士の認定を受ける。
近年の岡本焼作風には土味を生かした炭化焼締、いぶし焼締、塩釉などの技法も見られる。 |